翻訳の歴史を探ろう!世界最古の翻訳は?
Index
「翻訳」はいつから存在していたのだろう?
昔の翻訳者はどんな苦労をして翻訳をしていたのだろう?
古代遺跡の壁画にも「翻訳者求む」って書いてあったりして?
翻訳は、異なる文化や言語をつなぐ架け橋として、また知識を伝達する手段として、古代から現代まで重要な役割を担ってきました。しかし、その歴史については意外と知られていないですよね。
そこで今回は、さまざまなエピソードを交えながら翻訳の歴史をご紹介していきます。
どんなエピソードがあるのかな?
翻訳の歴史をとらんと一緒に見てみよう!
気になる世界最古の翻訳は?
世界最古の翻訳とされるものには諸説ありますが、今回は特に有名な2つをご紹介します。
古代メソポタミアの文学作品「ギルガメシュ叙事詩」
最古の翻訳記録として知られるのは、メソポタミア文明で生まれた「ギルガメシュ叙事詩」という物語です。この物語は、ギルガメシュという王の冒険や友情、そして不死を求める旅が描かれており、人間の知られている歴史の中で最も古い作品と言われています。
シュメール語で伝承された「ギルガメシュ叙事詩」は、その後アッカド語や他の古代言語に翻訳されました。その背景には、異なる文明間の交流や影響があったとされており、異なる言語間での最初の翻訳と言われています。
「ギルガメシュ叙事詩」粘土板
Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg), CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
「ギルガメシュ叙事詩」は「ノアの方舟」に影響を与えた?
現存する「ギルガメシュ叙事詩」は、19世紀後半にイラクのニネヴェ遺跡で一部が発見されました。この物語は長い間、口伝えや断片的な形で伝えられ、紀元前1300年頃に粘土板に楔形文字で記録されたのではないかと言われています。
複数の要素で構成されている「ギルガメシュ叙事詩」ですが、特に注目されたのは大洪水のエピソードです。このエピソードの内容が、旧約聖書の「ノアの方舟」の物語と酷似していたのです。この発見により、「ギルガメシュ叙事詩」が「ノアの方舟」に影響を与えた可能性があると考えられるようになりました。そして、「ギルガメシュ叙事詩」が世界最古の文学作品のひとつとして広く認識されるきっかけにもなりました。
ギルガメシュ叙事詩は数千年の時を超え、現代でも世界中で読まれているよ!
スーパーロングセラー作品だね!!
古代の謎を解き明かす石「ロゼッタ・ストーン」
「ロゼッタストーン」大英博物館蔵
Olaf Herrmann, Copyrighted free use, via Wikimedia Commons
「ロゼッタ・ストーン」は、1799年にフランス・ナポレオン軍の遠征中にエジプトのロゼッタで発見された古代エジプトの重要な遺物です。縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cmの巨大な岩で、重さは760kgあります。この石碑には、プトレマイオス5世への忠誠と崇拝を宣言する神官たちの布告(ふこく)が刻まれています。
古代エジプトのヒエログリフ(神聖文字)、デモティック(民衆文字)、そして古代ギリシア語の3つの言語で同じ内容の文章が刻まれていたことから、古代エジプト言語の解読に劇的な進歩をもたらしました。
天才語学者「シャンポリオン」
「ロゼッタ・ストーン」は当初、ナポレオン軍が発見し保護していましたが、のちにイギリス軍に奪われてしまいました。その後、フランスとイギリスの語学者たちが「ロゼッタ・ストーン」の解読を競い合います。
見事解読に成功したのは、フランスの天才語学者であるジャン=フランソワ・シャンポリオンでした。「ロゼッタ・ストーン」の発見から23年の時を経て、1822年に解読を成し遂げました。シャンポリオンは16歳にして12の言語を読み書きできたという、まさしく天才であり、「古代エジプト学の父」として広く知られています。
ロゼッタストーンはイギリス・ロンドンの大英博物館に展示されているよ!
とらんも実物を見てみたいな~!
言葉の混乱と翻訳の始まり「バベルの塔」
ここで、翻訳の歴史に関連して旧約聖書の「バベルの塔」についてもご紹介します。「バベルの塔」は、翻訳の必要性が生まれた起源として、現代でも有名な逸話です。
「バベルの塔」はどんな物語?
「ノアの方舟」で描かれるノアの大洪水の後、ノアの子孫たちは同じ言葉を話していました。彼らは神に近づこうと、天に届くほどの高い塔を建てようと計画します。しかし、この企てに怒った神は、「人々の言葉を混乱させ、お互いに通じないようにしよう」と考え、言語をバラバラにしてしまいます。その結果、塔の建設は断念され、人々は各地へ去っていったとされています。
ピーテル・ブリューゲル「バベルの塔」ウィーン美術史美術館蔵
Pieter Brueghel the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons
「バベルの塔」は実際に存在した?
では「バベルの塔」は実在していたのでしょうか。
古代メソポタミア時代に建設された「ジッグラト」と呼ばれる建造物があります。「ジッグラト」は、メソポタミアの都市の守護神をまつるものであったと考えられていますが、天の神に近づくための階段とも言われています。現代でもいくつかの有名な「ジッグラト」が存在し、観光名所となっています。
この「ジックラト」が「バベルの塔」の原型であるという説があり、モデルになったと考えられていますが、「バベルの塔」が実在していたかどうかの議論は、実は未だに答えは出ていません。
「ジッグラト」チョガ・ザンビール複合遺跡内
Alireza.heydear, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
※「バベルの塔」という名称は、旧約聖書に登場する「the city and the tower」または「the city」を指しています。聖書の原文には「バベルの塔」という具体的な名称は記載されていませんが、一般的にはこの物語を指す際に「バベルの塔」と呼ばれています。
仏教経典の翻訳者「三蔵法師」
翻訳の歴史を語る上で、宗教的な文献の翻訳も重要な役割を果たしてきました。最後に、日本でも有名な「三蔵法師」についてご紹介します。
「三蔵法師」とは?
三蔵法師とは、ひとりの人の名前ではなく、仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)のことを指します。なかでも最も有名な三蔵法師は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)です。玄奘は、当時の中国には伝来していなかった経典を求めて、7世紀にインドへ修学の旅に出ます。17年にも及ぶ長い旅の後、持ち帰った仏教経典をサンスクリット語から漢語(中国語)に翻訳したことで知られています。
玄奘は「西遊記」に登場する三蔵法師のモデルになっていることでも有名ですよね。ドラマや漫画では仲間と一緒に旅をしている様子が描かれていますが、実際には危険が伴う中、ひとりで旅をした屈強な男性だったと言われています。
翻訳の歴史における玄奘の偉業
インドへの修学の旅を終えた玄奘は、持ち帰った仏教経典を翻訳し、仏教に生涯を捧げたいと皇帝に直訴しました。その決意を受け入れた皇帝は、勅令を出して長安に国立の翻訳機関となる翻経院を建設します。こうして玄奘の翻訳事業は国家プロジェクトとして始まり、多くの弟子たちと共に仏典の翻訳を進めました。
その結果、玄奘は持ち帰った仏教経典657部の中から、約20年間で75部1335巻を翻訳しました。最もよく知られる「般若心経」も玄奘の翻訳によるものと言われています。
また、玄奘の翻訳は意訳を避け、原典に忠実であることを重視しており、その正確さが評価されています。玄奘と弟子たちの努力は、仏教の普及と文化交流においても大きな偉業であり、翻訳の歴史に輝かしい一章を刻んでいます。
まとめ
いかがでしたか。こうして翻訳の歴史を振り返ると、先人たちが言葉の壁を越えるために非常に多くの努力をしてきたことがわかりますね。今回は世界における翻訳の歴史を振り返りました。
日本における翻訳の歴史に関する記事も公開予定なので、そちらも楽しみにしていてくださいね!
ここまでお読みいただきありがとうございました。
※翻訳の歴史については、さまざまな説や解釈があります。本記事で紹介した内容はその一部であり、他にも多くの視点や研究が存在します。
翻訳センター インサイドセールスチーム
とらんちゃん
「とらん」だけに「トランスレーション(翻訳)」が得意で、世界中の友達と交流している。 ポケットに入っているのは単語帳で、頭のアンテナでキャッチした情報を書き込んでいる。
- 生年月日1986年4月1日(トラ年・翻訳センター創業と同じ)
- モットー何でもトライ!
- 意気込み翻訳関連のお役立ち情報をお届けするよ。
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